抑圧とアクセス

「あなたはどう思うのか」ときかれたとき、こたえられないことがある。頭ではあーかもしれないこーかもしれないと考える。しかし私は、今このとき、どう感じる「べき」なのかと考えたりする。

抑えつけている感情や何かが無意識下にある。そこにアクセスするのが困難なのである。私は「私がどのような感情を抱いているか」をいちいち頭で考えねばならないのだ。

「自分を大切に」という言葉がある。私もよく使う。しかし「自分を大切にする」とは具体的に何をどうすればよいのだろうか。

そもそも自分は、何をしたいのだろうか。

私は、何について、どのように感じているのだろうか。

深く潜る、という作業がここで必要となる。または衝撃的な何かに接し、心が強く揺さぶられることにより噴出する感情もある。

そういう意味で、ひとり静寂に包まれて、無為に過ごす時間が、とても役に立つ。

ゆっくりと流れる時間。

静かな空間。

自分自身との対話。

……気づいたことがある。

かつて私は「自分で選んだ道だから」と考えていた。だから文句は言えないのだと。

「私は幸せである」とも何かにつけ思ってきた。

自分に言い聞かせてきたのである。

なぜ言い聞かせる必要があったのか。

反語的に、そうではないから、ではないか。と、今になって思う。

そのときはそう、言い聞かせなければならなかった。それが生き延びる術だった。ある日、突然耐えられなくなった。すべてが見え、そして私は私のための言動をとった。このひとに言われたから、しかたがないから、このようなことをしている、自分は犠牲になっていると思って生きてきた。しかしその言い訳もできなくなった。

他人への責任転嫁ができなくなった今、私は必死で、これからどのように生きていけばよいのだろう……と考えている。

忙しさにかまけていれば私はいつまでも逃げ続けていられた。考える時間を自分自身から奪ってはいけなかったのだ、と反省している。

同じ轍は踏まない。

自分の人生から逃げる人生は、もうやめだ。

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