ハグで育む

赤ちゃんのころ母親に抱き締めてもらえなかったこどもは、自己肯定感が育ちにくいのだそうだ。

自己肯定感。

担当の精神科医いわく、「そういう難しい言葉は僕は嫌いなんです。自分を大切にしてくださいね」とのこと。

自我とか自尊心とかなんかいろんなものがこう、育まれずに大人になってしまうという話だったかな。ちょっと忘れた。

自分はOKだ、という感覚は、実に得がたいものだ。

例えば、お洒落なお店を前にして足がすくんでしまったり、髪が伸びて美容院に行かなくちゃいけなくなったから行くのだけど怖くなって引き返したり、ひとが怖くてコミュニケーションがうまくとれなかったり、ネットでは言いたいことが言えたり、ネットでの自分と現実の自分に乖離があったり、そんなこんなが起きる。

現実世界の、今の実際の自分はNOなのだ。だから相手に見せたい自己イメージを投影した「自己像」を作り上げるし、自分でも、そちらこそ「本当の自分」であると思うのだ。

しかしどうだろう。どれだけ立派な、あるいは不幸な、あるいはきらびやかな、そんな自分を作り上げたところで、いっこうに「自分はOKだ」とはならない。心はいつも虚しく、なにかがすっぽりと抜け落ちたような、無感動、無感覚、誰へも同情しない自分、ひとの人生への妬み嫉み、ますますひどくなる現実との乖離……。

理論武装をして、身を守ろうとし、その結果ますます孤独に、いよいよ寂しくなる……。

大人になってしまった。

誰も褒めてくれない。

誰からも必要とされない。

今の自分では……。

それは長い記憶……母親という絶対的存在、その影響は続く……深く心に根をおろし、私を支配する……私の中の母親が、関係を操作し、状況を悪化させ、精神を撹乱する。厳しく叱責し、いつも落ち着かない気持ちにさせる。

……抱擁という、絶対的な安心感を与える行為が、心理療法でも行われる。

虐待を受けて育った人々の治療プログラムのなかで、共依存のひと向けのプログラムがあった。参加してみると、プログラム終了時に被治療者が治療者にハグを求める、ということが行われていた。これほどまでに心と体は密接に関わっているというのに、性的なことは、それが性的であるというだけでなぜ、こんなにもタブー視されるのだろう……。

育まれなかった自己肯定感。

そのまま無視され放置され続ける……。

傷はひろがり、酷くなる一方……。

まるで二次被害、セカンドレイプのように……。

その弊害は感情鈍麻にもにて、我々を侵食し、当たり前のように感じさせる。常識や倫理観となって巣食う。そして適応できないひとに対する不寛容さへと繋がる。

他者への寛容さや優しさ、思いやり、不完全さを受け入れるということ……、などは、ひょっとしたら、ハグをすれば、大人でも、いつからでも、今この瞬間からでも、養えるものなのかもしれない。

と、そう思う。

もちろんそれだけですべてが解決するわけではないだろうけれども……。

抱擁。なんて包容力のある言葉なのか。

ハグ。自己肯定感を育むハグ。

……。

…………。

ダジャレだ。

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