生きてゆく術

子どものころ身に着けた生きていくための術は、大人になってからは生きていく上での弊害になっている。

感情を圧し殺すことに慣れて、表情は乏しくなった。

喋らないことに慣れて、言わなければいけないことも言えなくなった。

はしゃがないように、大きな声を出さないように、慎重に考えて、身を縮め、ひっそりと隠れるように、息を詰め、注意深くあたりを見回す……。

あのひとはいないか。見られてないか。なにか落ち度はないか。怒られるきっかけは。いつ。どこで。

ビクビクおどおどしている……。

いつでも心は緊張して、恐怖と不安でいっぱいだ。安心できる場所などない。

そんな場所を、生き抜いていくためには、恥をかいてはならなかった。

怯えて暮らす日々の中、身に着いたのは、死んだ目と、人の目を見ないこと、その慎重さ、ぎこちない笑顔、小さな声、猫背、そして病的な自己欺瞞だった。

私は自分が、大人しくて素直で優しい子なのだと思い込み、周囲からもそう見えるよう、そのように振る舞った。取り繕い、都合の悪い部分を隠した。腹黒く、打算的で、狡くて、卑しくて、愚かで、浅ましい、そんな自分を……。実際以上に大きく見せようと必死で、批判的言動に狼狽える。まるで見透かされたかのような恐怖……。

だけれども……。

もし、私が、自分の身を守るためにしたことが、誰かを著しく傷つけているとしたら、それはとても罪深いことだ。であるならば、私は考えを改めねばならないだろう。

犯した罪がいかほどのものか、私は自覚していないのかもしれない。

その時が来たら、わかる日が来たら、自分は耐えられるのだろうか、その正しい罪悪感に? 否定し続けてきたなにか、それを壊されたら?

自分が、こんな自分が、ひとを、誰かを傷つけたなどと考えたくはないし、とても信じることはできない。それが、耐えがたいほど苦しいことはむしろ健全ではあるけれども、そこで逃げてしまうのは弱さであることも確かだ。否定し、なかったことにしてしまうのは……。

だから、そう、向き合おう。

見つめ合おう。

きちんと、ひとの、目を見よう。

これからの、私の生きてく術は……。

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