多様化と画一化

昨日、精神科医と話をしていたときに、「働き方が多様化しているようで実は画一的です」といっていた。だから「ちゃんとした」仕事とか「ふつうの」職業、という言葉があるのだと。

過眠のためまともに働けないどころか寝坊して無断欠勤して辞めさせられてしまう自分にとって、なるべく他人に迷惑をかけないような働き方ができる、という認識を、セルフパブリッシングに対して抱いている。その考え方を、担当ケースワーカーには理解してもらえそうもないというようなことを話したのだった。ひとによるけど今度のひとは、「どうしたら治るんですかね」と言うようなひとだ。つまり、病気は「治る」のがいい、ひとは「働く」べき、「社会復帰」を目指すのが当たり前、という認識を抱いているということだ。彼にとってそれは疑う余地もない常識なんだろう。あまりにも当たり前すぎて、いまさら「社会復帰すべき」と言語化して考えてみもしない。ほんとうにそうか? なんて疑問を抱くなど、もっとないことなのだ。

働き方や生き方が多様化している、という。

実際に多様化しているかどうかと、その多様性を認めているかどうかは違う。

多様化はしているが多様性を認めないのが多数だから画一的にならざるをえない、ということもあるのかもしれない。

セルフパブリッシングではどうだろうか。

なにを目的にしているか。

どのような姿勢でやっていくのか。

本当に他人を許容しているか。

自分がそれをやれているか、私には自信がない。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中