感じること

​作らず述べる。ということを司馬遷は行った。AさんとBさんは、現実世界では同じ性格ではない。だから違うように描くのが作らないということである。事実を述べるというのは彼にとってそういうことだった。

であれば創作とは現実を描きだすものであるのかもしれない。作らずとはそういうことだ。述べることに徹するとは、そこには自分などただの記述者にすぎないという意味があるように感じられる。「私」の不在である。私という器を通して見た現実を、私はただ述べるだけなのである。述べられたものはそして読み手のものになる。その世界は彼、彼女のものになる。そこで感じたことは誰にも否定されない。著述した者でさえも。

私は、そういう姿勢で、書いてゆきたい。

あくまでも理想ではあるが……。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中